過去の日記から(413)

破傷風菌との戦い、再投稿(25)
気管は人の字の形になっていて人口呼吸器の入口の風船がケイレンで変形して痰が肺の方に入ったらしい、内視鏡を入れたことで非常に苦しそうです、呼吸、血圧が乱れています。
しばらくは苦しいが時間がたてば落ち着くはずだ、少しでも楽にしてあげて欲しいとお祈りするしかありませんでした。
 

過去の日記から(412)

破傷風菌との戦い、再投稿(24)
「家内の病症日記から」
痰も少なくなっていると主治医から説明がありました、今週が山場でしょう、ここをクリア-すれば後は快復傾向になる頑張れお父さん。
夜になってまた容態が急変しました、気管の中に(肺の中に)痰が入ったのです、内視鏡を入れて痰を根気よく痰を取り除く治療が必要となりました。
一回の所用時間は約1時間弱で7回程繰り返し治療されました、私はその都度病室からでるように指示されたのです。
 

過去の日記から(411)

破傷風菌との戦い、再投稿(23)
「家内の病症日記から」
牧師に心より感謝、長男一君が帰宅してお父さんは強い人やから絶対死なへん、長男一君は多くを語りませんでした。
2000年4月19日(水)少しずつ良くなっているようです。本人の気力と精神力はあるから大丈夫と思う。脈拍数も血圧も比較的安定していますが、体温が高いのが気になります。
これは「毒性」からきているらしい胸はまだ血状がでていますが随分きれいになってきました。
 
編集
編集
編集
 

過去の日記から(410)

破傷風菌との戦い、再投稿(22)
「家内の病床日記から」
2000年4月17日(月)夜は比較的安定した状況でありました、2時間毎に看護婦さんがこられる、軽い「ケイレン」を起こす、熱が異常に高い、血圧も異常に高い、非常に心配であるが呼吸は比較的安定しています。
口からは口臭がでている、今日は喉の切開手術でそこから人工呼吸を入れ直す(現在は口から)、ケイレンの回数が少くなくなっています、肺の方も少しずつ改善しています。
後は熱が下がり「合併症」が出ないとよいのだが、油断は禁物だ、私は明日まで留守にします、お父さん頑張って、明日はできるだけるだけ早く来るから。
破傷風菌との戦い、再投稿(21)

過去の日記から(409)

破傷風菌との戦い、再投稿(21)
「家内の病症日記から」
2000年4月18(火)病院に6:00Pm 頃来ますと昼間は大変だったようでしたが、本日の夜は比較的静かです。
麻酔の量を少しずつ減らして行き意識を少しずつ元に戻して見る予定だとのことでした。
このまま快方に向かって欲しい、教会の人達もみんな祈ってくれてる、そのことを覚え感謝です。
当社の本社事務員3名が千羽鶴を折ってくれていますよ、「 頑張れ!!お父さん 」。

編集
編集
 

過去の日記から(408)

破傷風菌との戦い、再投稿(20)
「私の記憶を通して」
どうも夜みたいであります、泣いている人が近くにいる見たいだ、誰か解らない光に反応して激しくケイレンを起こすためにアイマスクがかかっています。
再び意識不明になったのか記憶がのこっていません、後日聞きますと、院長先生や主治医の先生の説明で覚悟も必要と言われて。
これを受けて家内は夜中、病室でひとりお祈りの時が与えられたそうです、ところが途中から涙が止まらなくなったそうです。

 

過去の日記から(407)

破傷風菌との戦い、再投稿(18)
誰の手か解りませんでした、後日聞きますと牧師の手だったそうです必死でつかみ私の指で手の平をカキ(書く)ました。
すると思いが通じて私にペンを持たしてくれた、私はまだ意識は少しありましたから私は決して負けない、「7日間頑張る約束する」と書いたのです。
後日そのメモを見せて貰いましたが字になってなく読めませんでした、でも私は伝わったものと確信していました、これが闘病中の力となったのです。