過去の日記から(406)

破傷風菌との戦い、再投稿(17)
「家内の病床日記から」
いまお父さんは第3期症状に入っており非常に厳しい状況で戦っています、頑張れお父さん、私は祈ることしかできない。
破傷風菌と判明してから、高浜病院の対応と平岡主治医はじめ看護士さん達に心から感謝します。
本格的治療が始まりました、私は意識が薄れて行く中で最後に心中にある思いを伝えたいが語れず、手足が自由に動かず、どうすることも出来ませんでした。
 
 

過去の日記から(405)

破傷風菌との戦い、再投稿(16)
「家内の病床日記から」。
2000年4月15日(土)朝早く付き添い下さった牧師から電話がありました、早朝より容態が急変し緊迫した状態になりました。
主治医も当直あけで睡眠不足ではあるが対応下さったことを聞き感謝しました、一番心配していた合併症を併発して肺炎になったのです。
肺に水が溜まり空気が送れなくなりました、肺を切開して水を抜くホ-スを入れるので承諾願いたいので大至急病院にきて欲しいとの電話が入り急いで病院に行き同意しました。

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過去の日記から(404)

破傷風菌との戦い、再投稿(15)
私が破傷風菌に犯されていることが解りました、大至急だったベッドごし移動で集中治療室に移動された。
本格的な治療に入ったのです、私は日本イエスキリスト教団・舞鶴福音教会の信徒です。
夜中 3:30Am 頃でしたが牧師に祈って欲しいと願い家内から牧師に電話して貰いました。
牧師は夜中でしたが駆けつけて祈って下さった、この頃から私の意識が薄れてきます。

 

過去の日記から(403)

破傷風菌との戦い、再投稿(14)
家内から指の怪我のことを知らされた、主治医の表情が一瞬変わったことを覚えています。
先生はすぐに病例を調べに行かれました、破傷風の診断指針を大分医科大学内科教授から。
久留米大学緊急医学教授の資料を入手された、後日FAXのコピ-を読まして頂きました。

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過去の日記から(402)

破傷風菌との戦い、再投稿(13)
「主治医平岡先生の告知内容」
(1)病名は破傷風である。
(2)人工呼吸機をつけた治療となる。
(3)全経過を通じ意識が鮮明であるから
非常に苦しいが7日間は頑張るように。
(4)合併症として肺炎や血圧バランスが崩れると
非常に危険である。

 

過去の日記から(401)

破傷風菌との戦い、再投稿(11)
「家内の病床日記から」
私は看護婦詰所で主治医から説明をうけました、自分の血の気が引いていくのが解りました。
主人の病室まで行くのに雲の上を歩いている状態でかろうじて先生の後をついて行くのがやっとでした。
病室で主人に告知してもらいました、夜中にもかかわらず牧師はきて下さった、この時は麻酔が効いていたようだが意識がまだ少し残っているようでした。

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過去の日記から(400)

破傷風菌との戦い、再投稿(10)
その細菌と脳髄中に生息している免疫体が戦い勝利した、しかしその免疫体が強くなりすぎて自分の脳を守っている細菌(味方)を食べ始めたのが原因と考えられる。
明日より副腎ホルモン剤及び栄養剤を点滴する、これは感染症を併発する副作用があるので注意して治療に当たる、2000年4月13日(木)にはMRA検査及び脳髄検査を行いました。